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2008年10月

この国をすきになる

着物及び日本文化をすきになっていったプロセスを

昔のことを振りかえりながら

辿ってみようと思います。

10代の頃は日本より海外に興味がありました。

特にアメリカです。

アメリカのドラマ「フルハウス」がすきで

中学生の頃 毎週見ていました(現在NHKで再放送しているようです)。

家族の日々をえがくホームコメディーで

笑えるところがたくさんあり、

あたたかくなる場面も もりだくさん。

このドラマを見て何より印象的だったのは

子供も大人も対等に存在しているということです。

相手が誰であれ、しっかりとした自分のスタイルを持っていて、

常に堂々と生きているということです。

それに比べて日本人はオドオドしていて、自信がなさそうで

カッコがわるいと本気で思っていました。

日本という国から出たくてたまりませんでした。

今思えば思春期の現実逃避だったのですが、

当時はとにかく必死でした。

思い切ってカリフォルニアにホームステイしてみました。

青い空と青い海に 救いを求めてグアムに行ってみました。

そして、ニューヨークにも行きました。

「自由になるんだ」と信じて。

ニューヨーク行きは フリープランのツアーだったため、

事前にガイドブックの徹底リサーチ。

オフ ブロードウェイや、Village Vanguard(ジャズクラブ)や、

Manhattan Portageや、

ベーグルや、パストラミ サンドや、

5th Avenueや、Sephora…etc.

ニューヨークらしいと思うところを

めまぐるしい強行スケジュールで飛び回りました。

人生を変えたい一心で…!

でも、ふとホテルに帰ってシャワーを浴びているとき

こんな想いが 静かに浮かび上がりました。

「ニューヨークは何も変えてくれないんだ」

当たり前すぎる真実なのですが、

少しせつなくなりながらも

心がフッと軽くなるのを感じました。

それは 外に探しに行くのではなく、

まずは 今 ここにいる 自分を見つめることが

スタートなのだということに

気がついた瞬間なのかもしれません。

アメリカもいいけど

自分の住む国はどうなっているのだろうと、

自身のルーツを見つめる準備ができた瞬間なのかもしれません。

そのような経緯があり、

今は 日本という国と

この国が有する文化に限りない尊敬と誇りの念を

抱いているのだと思います。

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着物と巡りあう

自分音楽史の旅はまだ続きそうですが、

ここで少しひと休みして

がらりと 別のアングルへ向かってみたいと思います。

まずは着物についてです。

今から6年程前に、

たまたま本屋で手に取った着物の本が

その出会いだったのですが、

それは今までの着物のイメージをくつがえす

おしゃれで可愛いスタイリング満載の

着物ブックだったのです。

大げさな私は、「これぞ私の求めていたもの!」

と心ふるえる想いを味わいました。

繊細でいて、独創性に富み、

現代ではきっと生まれ得ない

昔の日本人の美意識の高さに感銘を受けました。

「日本の意匠って なんて素晴らしいんだろう、

地球上の宝ではないかしら!」 と心から思いました。

この本に出会って 着物を着てみたくなった私は

とりあえず安価で着物を入手するため

町田天満宮の骨董市に向かいました。

2003年6月のことです。

着物を着るのも買うのも

まったく初めての体験で

分からないことだらけだったのですが、

とりあえず可愛いと思うものを数点購入してみました。

骨董市で販売されている着物や帯はとってもお安く、

ウールの着物なんて500円で購入できてしまいました。

でも、状態は悪くないのですよ。

そして、出店していたやさしい呉服屋さんが

購入したばかりの着物を

幸運なことにその場で着せてくださったのです!

外国の方からカメラを向けられたり、

おばちゃんには「洋服よりいいわよー」とほめられたり、

本当にうれしくて、キラキラと新鮮なひとときでした。

草履はよいものが見つからなかったので、

履いていたビルケンシュトックのサンダルのまま

リュックを肩に掛け、

でも 衣服だけは行きと全く違う

着付けてもらったばかりの着物で

帰路につくため電車に乗りました。

人目が気になる恥ずかしさもありましたが、

うれしさが断トツ圧勝でした。

一気に女性らしく しおらしい感じになってみたり、

「やっぱり日本人はこうでなくっちゃ」 なんて

急に 日本人を代表しているかのような

誇らしい気分になってみたり。

何せ背筋がピンと伸びるのが

気分がいいものですね(慣れないうちは少々つかれますが)。

その日は「このまま着替えたくない!」と思うほど

うっとりと幸福に満ちた日でした。

そして、その日を境に

日本文化を知りたいという新しい想いが

自分の中に芽生えてきたのでした。

- つづく -

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その4

次は お待ちかね(?)、クラシックの代表選手、

モーツァルトの登場です。

…とは言いつつ、

例によって モーツァルトもすきではありませんでした。

習ったピアノ曲は 退屈な練習曲といったイメージで、

ほとんど記憶に残っていません。

近年クラシックを聴き出してからも

モーツァルトはどうも受け入れることができませんでした。

その理由は、

まず どの曲も似たように聴こえること、

そして 血がかよっていない無機質な音楽に聴こえること、

というものでした。

モーツァルトという人は根っからの天才で、

ベートーヴェンが作曲を

何度もやり直しやり直し 苦心したのに対して、

モーツァルトはサラサラ~とすごいスピードで曲を書き、

それもほとんど書き直しはなしという

神業的な才能を持っていたそうなのです。

きっと苦労せずに作った曲だから

心に響かないんだなぁと思っていました。

でも、みんなが彼のことを絶賛しているのは

なぜなんだろうといつも疑問を持っていました。

そんなある日、

東京国際フォーラムで開催される

クラシックの音楽祭 「ラ・フォル・ジュルネ」に足を運びました。

この音楽祭は 毎年テーマがあるのですが、

その年、つまり2006年のテーマは モーツァルトでした。

モーツァルトには興味がないけど、

当時の職場が目と鼻の先だったということと、

クラシックを好きになり始めたところだし

とりあえず行っておこうかという軽いノリで、

とりあえず入手できたチケットを手にして会場に向かいました。

そこで聴いたのが、「2台のピアノのためのソナタ」という曲です。

そう、この曲こそがモーツァルトと私の

和解のきっかけを作ってくれたのです!

タイトルのとおり、

2台のピアノが向き合うように配置され

2人のピアニストが演奏するのですが、

次々と2台のピアノから繰り出される旋律の波は

目で見て、耳で聴いて楽しいという

まるでショーのようなものでした。

それはまるで愛の語らいのようであり

時には掛け合い漫才(?)のようでもあり、

本当に本当に鮮やかで

全く無機質なんかではなく、

こんなにもワクワクする音楽をなぜ知らなかったのだろう、と

悔やみたくなる程の体験でした。

それからはすっかりこの曲が大好きになり、

後に分かったことは

クラシック漫画「のだめカンタービレ」で

主人公2人が 初めて演奏した曲だったということで

また軽く驚き。

「のだめ」は一応持っていて

何度も読み返していたのですが

モーツァルトというだけでそっぽを向いていたなんて

本当に惜しいことをしました。

そうしてその後、ベートーヴェンパターンと同様

いろんなモーツァルトの曲を聴いてみました。

ご多分にもれず(? )

ピアノ曲は素敵な曲ばっかり(短調の幻想曲なんて素敵すぎます)で、

交響曲もいいし、室内楽も美しいし、オペラもあるし、

珠玉の名曲オンパレードなのでした。

…そう、すっかりこの流れがパターン化しつつありますが、

ただの食わず嫌いだったのでしょうか。

いや、一応食べて(演奏して)はいたのです。

近頃になって、価値が分かるキャパシティが

やっと育ってきたということなのです…!

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その3

さてさて、自分音楽史の旅は目下継続中です。

次は初めの頃にも少し登場した

ベートーヴェンをフィーチャーしてみたいと思います。

ピアノレッスンにおいてベートーヴェンは

本当に苦手な存在でした。

どうやったって弾きこなすことができないのです。

それに 弾いていても全く楽しくなく、

一筋縄ではいかない手強い相手でした。

比較的テクニックを要さない(と言っても決して簡単なわけではありませんが)

「悲愴 第2楽章」や「月光 第1楽章」は

キレイな旋律も手伝ってくれて

それなりにうれしく弾いておりましたが、

それ以外の曲となると

いかんせん難しくてたまりません。

彼の曲は確固たるリズム感が要求されるような気がして、

ピアノをフワフワ・サラサラ弾いていた私にとっては

まるで苦行のようでした。

よって、自分の好みには反する作曲家として

ほとんど排除しておりました(ごめんね、ベートーヴェン…)。

だけど、前述のクラシック音楽へのきっかけを

作ってくれた知人の誘いで

アマチュアオーケストラのコンサートに行ったときに

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を初めて聴きました。

しかし、その演奏は

私のようなクラシックを聴き慣れていない者にも分かるほど

疑問の残るもので、

フラストレーションが溜まった私は

プロの演奏が聴きたいと思い

様々なピアニスト、オーケストラの演奏の「皇帝」を

同じ年に 実に5回も聴きに行くことになったのです。

その頃には自分にとってすっかり特別な曲となり、

ベートーヴェンとの距離も

ぐっと縮まったというわけなのでした。

この曲は どこまでも雄大で、それでいて 流れるようにうるわしく

ベートーヴェンって本当はとっても美しいんだ!と

まるで恋に落ちたかのように

みずみずしい気持ちにさせてくれます。

その後、苦手でたまらなかったピアノソナタや、

ピアノ協奏曲も1番から5番まで全曲CDで聴いてみましたが、

どれもすんなり入っていくので本当に驚きました。

どの曲も全て性格が違い、いずれも名曲揃いなのです。

彼の曲は とにかくカッコよく、

誰も真似のできないオリジナリティーをしっかりと持っています。

それに、すごく斬新なのです。

今聴いてもまったく色褪せません。

心より尊敬します!

このような流れで、私は大のベートーヴェンファンへと

昇華(?)していったのでした。

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その2

自分音楽史の旅はまだ続きそうです。

ショパンのほかに、すきだった作曲家は

ドビュッシーです。

ショパンときて、ドビュッシーと言うと

好みがいかにも分かりやすそうだと思われそうですが。

ドビュッシーの曲で習ったのは、

「アラベスク第1番」、「プレリュード(ベルガマスク組曲より)」、

「月の光」、「亜麻色の髪の乙女」で、

『ザ・ドビュッシー』といったメジャーどころが揃ったラインナップです。

ドビュッシーの素敵なところは

キラキラと光が揺らめいているようで、

なんとも不思議な気分になるところです。

(抽象的な説明で申し訳ありません。

アカデミックな音楽教育を受けていないため あしからず。)

モネやルノワールなどの印象派にインスピレーションを受けて

音楽を描いたというドビュッシー。

感覚的な美しさを保ちつつ、

独創的な世界を展開しているという…!

まさに私のタイプです。

その世界観にどっぷり浸かることができるのです。

確か高校一年生の時

ピアノ教室の発表会で「月の光」を演奏しました。

自分の発表会史上、

おそらく はじめてノーミスで演奏することができました。

それまでは、曲の中で必ず引っかかる箇所があり、

かなりの高確率において

本番でもその箇所を間違えてしまうのでした。

でも、「月の光」の時はまったく間違えずに

自分で納得いく演奏ができて

満足だったというだけでもひとしおなのに、

後日先生から聞いたところによると、

観客(おそらく生徒の父兄と思われます)の方が

「まるでCDを聴いているみたい」と

ほめてくださったというのです。

後にも先にも初めてのことで、

先生の前ではおとなしい風をよそおっていた私は

とりあえず疑ってみたり、

謙遜してみたりしましたが、

内心はまるで やさしい光につつまれるように

うれしかったのでした。

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その1

ここで、再びクラシック音楽の話題に戻ってみます。

いかにしてクラシックを好きになっていったかという

プロセスを辿っていきたいと思います。

以前ピアノのレッスンに通っていたのは前述のとおりですが、

当時はとにかくクラシックには興味がありませんでした。

誰の曲を習っているのかも

知らなくてもよいほどで、

曲をなかなか弾きこなせないものだから、

あまり好きではなかったのです(勝手ですね)。

そんな中 奇跡的に(?)すきだったのはショパンです。

だって どこまでも美しく、

ロマンティックで、キュンとなるから。

上手い下手は置いておいて、

弾いていると とにかく心地よい気分になれるのです。

そして、ただ1枚持っていたクラシックのCDは

ウラディーミル・アシュケナージ演奏の

ショパンの曲のメジャーどころが詰まったCDでした。

こればかり 本当に何度も何度も聴きました。

このCDの中で 聴くたびに涙が流れるのは

「英雄ポロネーズ」と「舟歌」です。

両方ともとてもドラマティックな曲なのですが、

曲を聴いていると

遠い記憶が呼び覚まされるように

自分の中から ふつふつと

湧き出す感情に圧倒されそうになるのです。

中学1年生の時、

担任の先生に提出する班ノートに

「ショパンの舟歌を聴いて、泣くほど感動しました。

行ったことのないヨーロッパに

自分がいるような錯覚を覚えたほどです」

と熱を込めて書いたところ、

「ヨーロッパなんて高級ですね。etc.」

というあっけない返事が先生から返ってきて

拍子抜けしたことを覚えています。

今では、きっと自分は前世でヨーロッパに住んでいたので

ノスタルジーを感じているのではと

ひそかに思っております。

だって、本当に懐かしくて、心落ち着くのですから。

それは、現在いろんなクラシックの曲を聴くようになっても

心からそう思います。

…まぁ、一番最初に触れた音楽の世界が

クラシックだったから

懐かしく感じるだけなのかもしれませんが。

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だいすきな advantage Lucy について

つづいてのお気に入りアーティストは「advantage Lucy」です。

Lucyは いまから8,9年ほど前に

当時好きだったバンドのラジオ番組で紹介されていたのを聴いて

一聴き惚れしてしまいました。

ボーカル・アイコの 水のように透明で、繊細な歌声。

そして、彼女の描く詩の世界観。

すぐそばにあることを綴っていながらも

普遍的で広大な世界を感じさせてくれます。

先日タワーレコードのインストアイベントで

数年ぶりに彼らの音楽をライブで聴きました。

相変わらず すきだなぁとしみじみ感じ、

彼らが 本当に楽しそうに音楽を奏でていることが

とてもうれしかったです。

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だいすきな アン・サリーについて

クラシック音楽の話だけに偏りたくないので、

ここで別の角度から音楽にスポットライトを当ててみます。

たぶんこれからも

ずっとずっと大好きなんだろうなと思うアーティストをご紹介。

まずは「アン・サリー」。

彼女の歌との出会いは

今から4年程前にカフェで流れていたのを聴いたときでした。

天にも昇る心地よい音楽なので

思わず店員さんに誰の曲かと質問をしてみたのです。

そのカフェの雰囲気もとても良くて

音楽との調和が素晴らしく

文字通り夢心地の空間・時間でした。

アン・サリーの初めのうちのアルバムはカバー曲で構成されています。

カバー曲なのですが、まるで彼女のオリジナルであるかのように

曲との間に 深い親密感があり、

曲を包み込む おだやかでやさしい彼女の歌声は

彼女だけに与えられたギフトのようです。

そして、その空気感はどこまでも軽やかで

触れていると この一瞬が美しく生まれ変わるようです。

こんなに素晴らしい歌い手なのに

一方で医師であり、母でもあるという

まさに天から祝福された方なのです。

これからも末永く活動を続けてほしいと心より願っています。

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音楽のジャンル

前回のつづき。

知人とのヴァイオリンアンサンブルで開いた

新しい音楽の世界は、ずばりクラシック音楽でした。

とは言っても、習っていたピアノのジャンルもクラシックだったので、

新しい訳では全然ないはずなのですが、

私にとってはまったく新しく 大きな革命だったのです。

それまでの私は クラシック音楽がさほど好きではありませんでした。

練習もすきではなかったですし、

クラシックというものは退屈なものだと思っていました。

現在は上記のきっかけにより クラシックが大好きになったわけです。

…ここで、少し横道にそれます。

人から「どんな音楽がすき?」と聞かれる時、

「クラシックです」と答えにくいことがあります。

以前そのように答えた時の相手のコメントが

「上品だね」や「高級な感じ」などで終わってしまい、

いまいち盛り上がり(?)に欠けるからです。

『へぇ、クラシック…。これまた難しそうな音楽をねぇ…』

という心の声が聞こえてきそうです。

途端にその人との距離感が感じられ

遠巻きに見られているような気分に陥ります(考えすぎ?)。

もちろんクラシック音楽をすきな人はたくさんいると思いますし、

反対に延々と長くて退屈なものと

思う気持ちもよく分かります(以前自分も思っていたように)。

それに、音楽は 食べ物の好みと同様、

自分がすき、心地よい と思えばそれでよいのですから

あまり気にかけることはないとは思いつつ…。

さて、本題にもどりますが、

クラシックを再び知ってみて思うことは

このジャンルの音楽はとっても刺激的なものだということです。

たとえば、有名なベートーヴェンの「運命」という曲がありますが、

誤解をおそれずに言えば、

この曲なんて相当に「ロック」だと思うのです!

「運命」といえば、

冒頭の「ジャジャジャジャーン」という部分と

音楽室に飾られている作曲者の気難しそうな肖像画が

まず思い浮かびそうなものです。

しかし、お決まりのメロディーをくぐりぬけて 聴き進めていくと

第1楽章の中盤あたりは相当カッコいいことになっています。

リズムがドライブしています!

それに、チェロとヴィオラの奏でる第2楽章のメロディーなんて

どこまでもやさしく至福の温度に包まれているかのようです。

そして、最終楽章のはじけっぷりときたら、もはや祭りです!!

そう、この曲は全然堅苦しいものではなく、

とっても楽しい一大エンターテイメントだと思うのです。

…となんだかクラシック推進派のようになってしまいましたが、

一度入ってみると かなり楽しみの多い世界だった

ということを言いたかった訳です。

そんなところで、つづきはまたの機会にいたします。

話題は変わりますが、

「ロック」と言えば、初めて歌舞伎を見たときも

「ロックだ!」と感じて、魂が震えたものです。

歌舞伎も大変カッコいい世界です。

こちらの話題もまたいつかの機会に…。

そもそもロックが何かということを

自分は本当に知っているのだろうか

という疑問は残りますが

とりあえず本日はおひらき。

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すきな音楽

まずは音楽について。

ピアノを5歳のときから始めました。

近所のみんなも始めるから、

というよくあるノリがきっかけです。

そんな中 成長するにつれ みんながピアノを辞めていっても

私は18歳までレッスンに通い続けました。

でも実は 練習なんて面倒で、

人に聴いてもらうことにも興味がなく

一応続けている感は否めませんでしたが、

演奏している時間は

自分とゆっくり向き合うことのできる貴重なひとときで、

包みかくさず言えば、

ピアノを弾く自分を誇らしくさえ思っていたのでした。

そして、音楽はどんな時だって大きな存在でした。

目には見えず、形もないのに

底知れぬチカラを持って

この感情を揺さぶる 音の振動。

音楽はこの身体に いつも流れていて

自分を生かしてくれる源泉でした。

18歳の時にレッスンに通わなくなってからは

すっかりピアノとの距離が生まれてしまいましたが、

時間がすぎてゆくうち、ピアノへのいとおしさが募り続けました。

でも、なかなか再開できるきっかけをつかめず…。

そんな中、ある方との出会いがあり、

彼女の演奏するヴァイオリンと合わせるために

再びピアノに触れました。

そこから音楽に対する熱は再び加速度を増してゆくのでした。

つづきはのちほど…。

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すきなものをのこす

はじめてのウェブログ。

ずっと読み手側から楽しんでいましたが、

愛読している友人のブログがなかなか更新されないので

待ちきれず

自分も書いてみることにしました。

すきなもの、いとおしく思うものにクローズアップをして

その想いを残せればと思います。

どなたかの目にとまることをイメージしながら…shine

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