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2008年11月

Mémento-Mori

「死を想え」

Mr.Childrenの「花」という曲の副題になっている

この言葉を知ったとき、

一種の憧れのようなものを感じました。

それはこの人生を生きるための

究極のエッセンスであるように思えたからです。

前回までのテーマからだいぶかけ離れて、

(本来は少しも変わらないものだと思いますが)

生と死について考えてみたいと思います。

Wikipediaによるこの言葉の概略は以下のとおりです。

「古代ローマでは 将軍が凱旋パレートを行った際に

将軍の後ろに使用人が立ち、

『将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるか分からない』

ということを思い起こさせるため

『Mémento-Mori』と将軍に言う役目を果たしていた。

ただし、一般的には使われていない言葉で、

当時の趣旨は『今を楽しめ』ということであり、

『食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから』

というアドバイスであった。」

私たちは将来死ぬことになっています。

この生を終える時が必ずやってきます。

始まりがあれば終わりがある。

出会いがあれば別れがある。

それは表裏一体で切り離すことのできない真実です。

また、死ぬことができるから、

今を生きることができる

と考えることもできます。

ネイティブ・アメリカンの写真集の中に

こんな場面を見つけました。

美しく晴れ渡った空の下、

その空と同じくらい

晴々とした表情を湛えた彼の言葉。

「今日は死ぬのに良い日だ」

この日に 一生を終えることができれば

何も悔いることはないという

今日の日の素晴らしさ。

そして、想いの潔さと覚悟。

今を生ききることができれば

どんなに人生が変わってくることでしょう。

日常に埋もれると

自分が死せる存在であることを忘れてしまいますが、

その想いを身近に感じることができるとき

この生の価値はどこまでも高まっていくのではないでしょうか。

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読書にいそしむ

ここで本の話を少ししてみたいと思います。

数年前まで本を読まない人間でした。

ファッション雑誌などに掲載されている

『好きな本特集』のページを見ても、

「みんな日常的に本を読んでいるなんてすごいなぁ」と

他人事のように感心していました。

ただ、高校の授業で習った

夏目漱石の「こころ」だけはずっと気になっていて、

授業では一部しか取り上げなかったため

いつか全編読んでみたいと常々思っていました。

主人公の葛藤と 人間の闇の部分を辿る心理描写が

高校生時代の自分に強烈な印象を与えていたのです。

読みたいと思いながら

重い腰を上げて ついに全編を読んだのは

それから約10年も経過してのことでした。

「こころ」を皮切りに読書熱に火がつき、

大正・昭和の文豪と呼ばれる作家の本を

いろいろと読んでみました。

それまで 読書という習慣がなかったため、

本を読むという行為に親しむまでに

少し時間を要しましたが、

本を読むことによって

様々なストーリーを擬似体験できることに

強く惹かれていきました。

中でも印象に残っているのは

谷崎潤一郎の「細雪」、そして「春琴抄」です。

「細雪」は図書館で借りで読んだのですが、

文庫本で厚さが約5cmもあるため、

2週間の返却期間内で読みきるのは

難しいだろうと思っていたのですが、

本当におもしろくて2週間もかからず読破できたことは

今考えても爽快なことでした。

この作品では美しきよき関西の風景が

鮮やかに描かれています。

ていねいな描写によって

登場人物を身近に、

まるで現実の存在のように受け入れることができます。

また、だいすきな着物や歌舞伎にまつわる事柄も多く登場して、

当時の文化にじかに触れることができます。

そんな愛すべき「細雪」の世界観が、

読後しばらく経ても

この胸にいきいきと息づいていることを思うとき、

心の中に光を得たようにうれしくなります。

そして、「春琴抄」は

限りなく純粋な愛の物語だと思います。

本物の愛に至るまでの過程を辿るにつけ、

苦悩や逆境のように見える出来事も

きっと目的地に辿り着くまでに必要な道であり、

そこを通らずして勝ち得ることのない愛が

その先にあるという 確かな真実を実感させられます。

これらのような作品に触れるうちに感じることは、

この時代に描かれる日本人が

とても美しい存在であるということです。

どこまでも実直で、

人生とひたむきに相対している姿勢が

ひしひしと感じられるのです。

「生」に対する 真剣な想いを見せつけられているようです。

今を生きる自分にとって

普遍的な真実を投げかけてくれる

大いなる学びの場を得たことに感謝せずにいられません。

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クラシック音楽の魅力~その3

シリーズ最終回です。

ここまでクラシックがどんなに素敵かということを

延々語ってまいりましたが、

最後にお伝えしたいことは

「あまり期待をしない」ということです。

まだクラシックを聴き慣れていない時分に

小澤征爾さんのベートーヴェン・第九のCDを聴きました。

有名指揮者に超名曲とくれば

絶対に感動できるだろうと思っていたのです。

しかし、有名な「合唱」が出てくる最終楽章に

至るまでの途中の楽章で、

早くも興味がなくなってきました。

「全然素晴らしいと思えない…」

と大変ショックな気分を味わったものです。

今になって当時のことを振り返ると

「きっと感動するにちがいない」などという

余計な期待と先入観を持って

音楽に接してしまったために起こった

必然的なことだったのだと思います。

自分の期待する音楽と

実際聴こえてきた音楽との

比較及び確認作業になってしまい、

ただ両者が一致しているかどうかということが

焦点となっていたように思います。

音楽と純粋に向かい合うときには

そのように態勢を整えることや、

余計な知識は不要なのです(CDなどの楽曲解説は後から読むようにしています)。

こんなに素晴らしい曲が聴けるんだと

自分の中に像をつくってから音楽と出会うのではなく、

聴こえたままの音を そのまま感じとればよいのですから。

いいなと思えば そのように。

それほどでもないなと思えば そのように。

映画がすきでよく見に行きますが、

以前は 映画を観に行く際に

前評判を入念にチェックしてから見に行っていました。

でも、映画を観ているあいだ中、

「おもしろい映画が観られる」

という思いが入り混じるため、

純粋にその映画を観ていないのではないかと

だんだん感じるようになってきて、

今では ほんの少しの前情報のみを仕入れて

おもしろそうと予感する映画を観に行くようになりました。

音楽も映画も できるだけ真っ白な状態で接するのがベストだと思います。

ですから、ここまでこのトピックを読んでくださった方へ。

ここまで書いておいて矛盾しているようですが、

これまでの話は一個人の

ほんのささやかな解釈であると 軽く考えていただき、

ご自分で得たものを信じて

前に進んでほしいとの思うのです。

この話題は後日また続けたくなるかもしれませんが、

本日でいったん終了ですbell

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クラシック音楽の魅力~その2

前回のつづき。

クラシックのいろいろな曲に触れてみるために、

私はよく図書館を利用します。

図書館ではクラシックのCDが大充実していて、

聴きたい曲は ほぼ見つかります。

あとは、「どこかで聴いたことのあるクラシック」のようなCDシリーズを

聴いてみるのも楽しいかもしれません。

クラシック音楽は CMや映画などの音楽から、

電話の保留音や 駅のプラットホームに流れる

メロディー(ヴィヴァルディ・「春」、「秋」@JR京浜東北線・大井町駅 etc.)まで

本当に身近なところで多く使われています。

クラシックなんて1曲も知らないと思っていても

このようなCDを聴いてみると

絶対に知っているメロディーに出くわすのです。

ちなみに 最近の私のお気に入りは

資生堂「Revital GRANAS」のCM(鈴木京香さん等 出演)に流れている

ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ 「クロイツェル」です。

とてもドラマティックな曲です。

次に、コンサートの楽しみ方のウラ技をご紹介。

ピアノを習っていたので

ピアノが登場するコンサートに魅力を感じますが、

クラシック音楽の醍醐味と言えば

やはり交響曲にあると思います。

しかし、交響曲というものはあまりに長大すぎて手に負えず

退屈モードに陥ってしまうことがあります。

手持ち無沙汰で、とにかく眠くなってしまいます。

ちなみに クラシックのコンサートで

眠っている人を見かける確率は

ほぼ100%ですのでどうぞご安心を(?)。

睡魔におそわれそうな時には

こんなふうに想いをめぐらせることがあります。

今 自分は1時間くらいで読み終わる

短編小説を読んでいるのだと。

音楽を辿りながら こう考えます。

さっきまではあんなに大きく盛り上がる場面だったのに

今はなぜこんなに静謐な世界に変化したのだろう。

2つの世界の間には何が起こったのだったろうか。

どのようにすればこれほど自然に

移り変わりを表現できるのだろうか。

ストーリーに身をまかせるように

音楽を解き明かしていくのです。

…こんな音楽の聴き方は

健全ではないのかもしれませんが、

時には想像力をフル回転して聴いてみるのも

おもしろいのではないかと思います。

今はどの楽器が鳴っているのだろうとか、

この音楽の仕組みはどうなっているのだろう、と

分析的に聴いてみたり。

そこから今まで見えてこなかった世界が

現れてきたりするのですから

やっぱり音楽は楽しい、の一言に尽きます。

あとは、オーケストラってあんなにたくさんの人数で

よくあれほど繊細な世界を

描き出すことができるなぁといつも感心します。

そんな大所帯をまとめるために

指揮者という仕事が存在するのだと思うのですが、

指揮者・大野和士さんは自身の仕事について

「いかに人を活かすか、また表現を引き出すか」

と表していました。

でも、実際コンサートを聴きにいくと

オーケストラ団員は演奏中に

指揮者をほとんど見ていないようですし、

指揮者って本当に必要なのかなと思うことがあります。

だけど、やっぱり指揮者も演奏者なのですね。

かの小澤征爾さんは

「自分の仕事はコンサート本番の前に全て終わっている」

という内容のことを言っていたそうです。

つまり、それまでのリハーサルや練習こそが

音楽を創り出すための

価値ある時間ということだそうです。

中学生の時に吹奏楽部に入部していたのですが、

ある時 別の学校から

指揮者コンクールの入賞経験があるという

先生が来て指揮をされました。

その時、やっぱり違うなということを肌で感じました。

その先生の指揮にかかった時、

音楽がいきいきと生命力を吹き返してきたように

躍動しているということを目の当たりにしたのです。

内にあるモチベーションが高まってくるのが分かりました。

きっと楽器を奏でる人たちを奏でるのが

指揮者なのかもしれません。

それから、大野さんは

音楽についてこのようなことも言っていました。

「自分のこだわりや、

ちっぽけな自我を見せるという欲求がある限り、

音楽(作曲者)に対して失礼だ」 《一部要約》

そう、人の心を動かすものは

どこまでも無欲で、

尊敬すべきものに対しての

純忠なる心ではないでしょうか。

そんな気持ちにさせてくれるものとの出会いこそが

生きることの意味ではないかとさえ思うのです。

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クラシック音楽の魅力~その1

再びクラシックめいてまいりました。

このページは 別にクラシック普及活動のためのものではないのですが、

最近はその想いを書きたい気分でいます。

芸術の秋ですし。

そこで、クラシックに興味はあるけど

どこから入っていいのか分からないという方のために

僭越ながら おすすめの楽しみ方を

お伝えしてみたいと思います。

まずは 無料でクラシック音源に接することのできる

ラジオプログラムをご紹介。

ひとつめのおすすめは TBSが提供するインターネットラジオの

「OTTAVA」という番組。

インターネット接続環境がととのっていれば

PCから無料で聴くことができる番組なのですが、

「OTTAVA」は本当に素晴らしいです!

以下、OTTAVAのHPより抜粋。

“世界の国際都市にあって東京になかったもの、

それはクラシック・ステーション。

1992年にイギリスで開局した「Classic FM」の大成功を受けて、

世界の都市では、次々とクラシック音楽を専門とした

ラジオステーションが誕生しています。

クラシックの枠組みにとらわれない自由な選曲スタイルが、

高感度な人々の間で親しまれています。…etc.”

クラシックは何十分も延々とひたすら長すぎる…!

という方にはうってつけの番組です。

人間が気持ちよく 同じ音楽を継続して聴ける時間が

約3分である(5分だったかも?)というリサーチを元に、

クラシックの曲をその時間内で

紹介するという仕組みを採用しているのです。

でも、曲の魅力は存分に味わうことができます。

曲のエッセンスを知り尽している

魅力ある選曲センスを有しているからです。

OTTAVAでは早朝から深夜まで

様々なプログラムがあるのですが、

MCのトークもとっても興味深く 勉強になります。

2つめのおすすめラジオプログラムは、

NHK-FMの「気ままにクラシック」という番組です。

これは純粋に楽しい!

MCは、なぜか(?)笑福亭笑瓶さんと、

ソプラノ歌手の幸田浩子さんです。

笑瓶さんには今までほとんど興味がなかったのですが、

この番組における彼のポジションは

なかなか素晴らしいものがあります。

2人の織りなすボケとツッコミ満載のトークがとにかくおもしろく、

でも、基本はクラシック番組なので、

2人で歌曲を作ろうというコーナーがあったり、

クラシックってこんなに垣根が低かったのね、

ということを感じさせてくれる素敵なプログラムです。

続いては、やはり実際コンサートに足を運ぶことでしょうか。

クラシック音楽の素晴らしいところは

音が「生」であることだと思います。

マイクなどの機器を通していない

音楽家の奏でたままの

生きている音を体感できることです。

音のバイブレーションが直に身体に届くのです。

音楽療法というものがありますが、

音のもたらす作用というものは

計り知れないものだと思います。

あとは、演奏者によって同じ曲でも

まったく別物になるということも

興味深いことのひとつだと思います。

クラシックは 昔の人が書いた音楽を

楽譜どおり演奏するだけの

創造性に欠けるものと思われることがあるかもしれませんが、

まったくそんな生易しいもの(?)ではなく、

偉大な芸術家が生み落としたアートを

自分の手で今の現実によみがえらせようという

大いなる挑戦なのです!

そのため、クラシック音楽は「再現芸術」と呼ばれているそうです。

(ちなみに再現芸術には、

日本の伝統芸能、歌舞伎や落語なども含まれるそうです)

ですので、歌を例に取ると

人の声質は十人十色のため

歌い手によって 同じ歌がまったく違って聴こえるのと同様、

演奏者や指揮者によって

曲がまったく別物に生まれ変わります。

実際、今まで魅力を感じなかった曲を

別の奏者の演奏で聴いてみて

初めてその曲の良さがわかったという

経験はたびたびあります。

「こんなメロディーがあったんだ!」という

発見にも近い驚きを味わうこともよくあります。

それから、クラシック音楽の範囲はとっても広いです。

20世紀に書かれたものから、

400年前に生まれた曲まで

一同に介しています。

400年も前の曲に触れることができることは

なんて奇跡的なことでしょう!

それに、作曲者もバラエティーに富んでいます。

そういった意味では、

クラシック音楽という言葉で ひとくくりにするのは

少し乱暴かもしれません。

(実際 クラシック音楽の中でも

バロックやロマン派など 時期によって総称があるそうですが)

その膨大な選択肢の中から

自分にぴったりの宝物を見つけ出す楽しみが

クラシック音楽にはあるのだと思います。

- つづく -

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音楽に命を捧げる人

また音楽の話にもどりましょう。

先日 TV番組「情熱大陸」に

指揮者・大野和士さんが出演されていました。

大野さんの名前は知ってはいたのですが、

詳しい活躍ぶりなどは全く知りませんでした。

ルックスのいい人気指揮者なんだろうなという程度の認識でした。

この番組を見て 彼の人となりに初めて触れたのですが、

ほれぼれするくらい素晴らしい資質を

お持ちになっている方と分かり、

大きく心が動きました。

音楽に対する姿勢は常に真摯で、

オーケストラ楽団員を魅了する

パーソナリティーも確実に備わっています。

その瞳は好奇心にあふれ

まるで少年のようです。

そして、「今この瞬間」を生きているという姿勢が

高いインスピレーションを与えてくれます。

内戦状態にあったクロアチアのオーケストラにおいて

音楽の力と神聖さに心身を捧げた

彼の生き様の気高さは

海外の名だたるオーケストラからの

オファーが絶えないことからも明白です。

最近 クラシックのコンクールにまつわる

闇事情を耳にしたのですが、

そんな業界において

彼の存在は ほとんど奇跡のようだと思います。

どこまでも素直で、謙虚でありながら

深遠なる思想を湛えている。

そして、出会う者の内に

誇りを呼び覚ましてくれる

現代の勇者のような存在なのです。

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