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2008年12月

音楽は自由に羽ばたく

現在 ヴァイオリンを演奏する知人と共に

ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ第5番「春」を練習しています。

やっと第1楽章がなんとか通して弾けるようになったところです。

この曲のピアノパートは

テクニック的には難しくなさそうなので

わりと容易に弾けるのかと思いきや、

やはりそこは傑作だけあって

内容が大変充実した曲なので

弾きこなすまでに至るには

相当修練を積む必要がありそうです。

先日は知人が通っているヴァイオリン教室に同行して

一緒にレッスンを受けさせてもらいました。

その先生は、本当に素晴らしい先生で

親しみ深くて とても温かい方でいらっしゃいます。

そして、真の音楽家です。

今回レッスンにうかがったのは2回目ですが、

そのたびに音楽における

最も大事なエッセンスを教えていただいています。

それは、紛れもなく「心」に関することです。

現在のクラシック音楽シーンは

誰が演奏しても同じように聴こえる

「缶詰音楽」が蔓延しているのだそうです。

以前は、音源を聴くことによって

誰の演奏か分かったそうで、

音楽には演奏家の血が流れていたそうです。

しかし、現代の演奏家に至っては、

技術的には優れているけど

心に響く演奏をすることができる人が

極めて少ないとのことです。

音をとおして心を表す。

それは とてもシンプルなことですが、

技巧があるからよいのではなく

どこまでも最も大切な原点に回帰してゆきます。

そのような音楽の根源の部分を先生に教えていただきました。

また、レッスン中こんな想いが浮かび上がりました。

「今こうやって音楽を奏でることができるのは、なんて幸せなことだろう。」

その時私は、映画「戦場のピアニスト」のことを思い出していました。

この映画は 第2次世界大戦の大荒波に飲み込まれながらも、

奇跡的に再び幸福を掴んだ

ユダヤ人ピアニストを主人公とした実話を題材にしています。

戦時中には音楽などの芸術は

真っ先に除外されるものの対象となるでしょう。

なぜなら戦争には必要がないものだから。

むしろ戦争の妨げになるから。

だけど、

戦地に

天使が舞い降りてきそうなほど

美しい音楽が流れる時、

それでも人間は戦いを続けるのでしょうか。

この映画でも、主人公が奏でるピアノによって

敵であるドイツ人将校の心が開かれます。

きっと真の芸術は

人間を清らかなる方向へと導き、

生きる力を与えてくれるものだと思います。

そして、音楽を奏でることは

この胸のうちにある心を

音に託すこと。

その心が美しく正しきものであれば、

音楽はどこまでも高く羽ばたいてゆき、

その力はこの世界を変える力にさえ

昇華すると信じています。

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リズムについての考察

前回の話に紐付けて、

リズムについて考えてみたいと思います。

私はピアノを弾きますが、

残念ながらリズム感がある方ではなく、

ぜひとも向上させたいと常々思っています。

以前通っていたピアノ教室の先生評によると

曲を弾いている間にテンポが揺れてくるのだそうです。

つまり、勝手に早くなったり、遅くなったりするのです。

本人は自覚がないのですが、

メトロノームを鳴らしながら演奏すると

それは明らかなものとなります。

一定のテンポを刻みつづけることが難しいのです。

それから、早いパッセージなどは指が追いつかず

リズムがつるつると滑ってしまいます。

これはリズム感以前に技術的な問題ですね。

…と自己批判モードになってしまいましたが、

リズム感の良い人には心底憧れます。

リズム感の重要さに興味を持ったのは、

まず、「ジャクソンファイブ」の歌を聴いたときです。

つまり、ヴォーカルのマイケルの歌を聴いたときでした。

リードヴォーカルだから 最も大きな印象を残しますが、

それ以上に天才の表現するリズムセンスには

全身が耳になるような想いでした。

1人抜群の才能を発揮しているため

他の4人がまったくの凡人に思えてしまうのです。

あとは、ヨーロッパで長い間

音楽を学んだ友人にも大きな影響を受けました。

リズムに対する苦手意識ゆえに

軽んじていた気持ちがあったのですが、

その友人の演奏を耳にしたときには

リズムを刻むことの大切さを実感しました。

そして、素晴らしいリズムの

心地よさと安心感を味わい、

神秘性さえ感じたのです。

友人曰く、

心臓の刻む鼓動の音が

音楽に発展したということ。

その話と照らし合わせると、

心身を任せることのできるリズムに対して

原点に帰ったような安堵感を感じるのにも納得です。

また、先日パーカッションを習っている友人の

発表会に行ってきましたが、

その友人の演奏も本当に素晴らしかったです。

聴いていて心が安定するリズム、

彼女らしい丁寧なやさしさを感じました。

リズムは計ることのできるものではなく、

心と身体で感じるアートであり、

その人となりがにじみ出る

個性のひとつだと思います。

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リズムの天分

十二月大歌舞伎を 歌舞伎座に観に行きました。

「夜の部」の中で最も楽しみにしていたのが

「高坏(たかつき)」という演目の舞踊です。

友人が 中村勘太郎さん主演の同演目を観て

歌舞伎がすきになったという話を聞いていたため、

いつか見たいとずっと思っておりました。

それが今回は市川染五郎さんが

踊るとあれば願ってもないことです。

染五郎さんは日本舞踊の家元だけあって、

踊りの上手さは天下一品なのです!

今年初めに松本幸四郎さんと共演された

「連獅子」を観たときには

魂が震えるような感動を味わいました。

特に獅子と化してからのダイナミックな踊りは

この舞踊の真骨頂を体現しているかのようです。

染五郎さんの踊りは本当に芸術的だと思います。

すべての動きに完璧な程迷いがなく、

抜群の身体感覚と天才的なリズム感に

触れるときに湧き上がる感情とは、

今までの人生でも数えられるくらいしかないほどの

光り輝く珠玉の体験なのです。

染五郎さんのように

類いないリズム感を持っているということは

ひとえに天分によるものだと思います。

それはある程度 後天的に伸ばせるものなのでしょうが、

選ばれた人たちにのみ

何千分の一の瞬間というものを

確実につかむことができる才が

備わっているのではないかと思います。

ここで「高坏」についての説明を少し。

この演目は初演当時の昭和7、8年頃に流行していた

タップダンスの技法を取り入れて、

高下駄をリズミカルに鳴らして踊るという

舞踊シーンが取り入れられています。

また、歌舞伎のアメリカ公演で上演された時も喝采を浴びており、

かの北野武監督は、この作品を見て

「座頭市」のシーンを思い立ったそうです。

舞踊シーンは 「タップダンス風」などではなく、

本当に「タップダンスそのもの」なのです。

しかも、高下駄を履いて、です!

本当にエキサイティングです。

踊りの超絶技巧の素晴らしさもさることながら、

それを天才が踊るとくれば観に行かない手はありません。

機会があれば、ぜひご覧いただければ幸いです。

('08年12月26日まで東京・歌舞伎座にて)

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人生が動く

ここ最近 人生に対する自覚が芽生えてきたように思います。

自分は生きているんだという

確かな足取りを感じられるようになってきたと思うのです。

今までは 自身の内に希望や願望はたくさん携えているものの、

どこか地に足が着いていないような感覚でした。

だけど、最近は現実を直視することが

できるようになってきたと感じています。

そう思えるようになったのは

苦手なことと向き合うことができる態勢が

やっと少しずつ 整ってきたからです。

苦手なことから逃げ続けることにより

それはどんどん大きくなり、

苦しみも大きくなってきていました。

それは際限を知ることがありませんでした。

でも、それと向き合うことができるようになった今、

きっと大丈夫だという想いが湧いてきています。

もちろんこれからだっていろんなことがあるのだろうけど、

何かをつかんだような自信を感じるのです。

今まで、いろんな人に迷惑をかけたことや

イヤな気持ちにさせてしまったことに許しを請いつつ、

その意識を 今とこれからのために向けたいです。

生まれてきたこの世界に

よき何かを残せるように。

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