音楽

音楽は自由に羽ばたく

現在 ヴァイオリンを演奏する知人と共に

ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ第5番「春」を練習しています。

やっと第1楽章がなんとか通して弾けるようになったところです。

この曲のピアノパートは

テクニック的には難しくなさそうなので

わりと容易に弾けるのかと思いきや、

やはりそこは傑作だけあって

内容が大変充実した曲なので

弾きこなすまでに至るには

相当修練を積む必要がありそうです。

先日は知人が通っているヴァイオリン教室に同行して

一緒にレッスンを受けさせてもらいました。

その先生は、本当に素晴らしい先生で

親しみ深くて とても温かい方でいらっしゃいます。

そして、真の音楽家です。

今回レッスンにうかがったのは2回目ですが、

そのたびに音楽における

最も大事なエッセンスを教えていただいています。

それは、紛れもなく「心」に関することです。

現在のクラシック音楽シーンは

誰が演奏しても同じように聴こえる

「缶詰音楽」が蔓延しているのだそうです。

以前は、音源を聴くことによって

誰の演奏か分かったそうで、

音楽には演奏家の血が流れていたそうです。

しかし、現代の演奏家に至っては、

技術的には優れているけど

心に響く演奏をすることができる人が

極めて少ないとのことです。

音をとおして心を表す。

それは とてもシンプルなことですが、

技巧があるからよいのではなく

どこまでも最も大切な原点に回帰してゆきます。

そのような音楽の根源の部分を先生に教えていただきました。

また、レッスン中こんな想いが浮かび上がりました。

「今こうやって音楽を奏でることができるのは、なんて幸せなことだろう。」

その時私は、映画「戦場のピアニスト」のことを思い出していました。

この映画は 第2次世界大戦の大荒波に飲み込まれながらも、

奇跡的に再び幸福を掴んだ

ユダヤ人ピアニストを主人公とした実話を題材にしています。

戦時中には音楽などの芸術は

真っ先に除外されるものの対象となるでしょう。

なぜなら戦争には必要がないものだから。

むしろ戦争の妨げになるから。

だけど、

戦地に

天使が舞い降りてきそうなほど

美しい音楽が流れる時、

それでも人間は戦いを続けるのでしょうか。

この映画でも、主人公が奏でるピアノによって

敵であるドイツ人将校の心が開かれます。

きっと真の芸術は

人間を清らかなる方向へと導き、

生きる力を与えてくれるものだと思います。

そして、音楽を奏でることは

この胸のうちにある心を

音に託すこと。

その心が美しく正しきものであれば、

音楽はどこまでも高く羽ばたいてゆき、

その力はこの世界を変える力にさえ

昇華すると信じています。

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リズムについての考察

前回の話に紐付けて、

リズムについて考えてみたいと思います。

私はピアノを弾きますが、

残念ながらリズム感がある方ではなく、

ぜひとも向上させたいと常々思っています。

以前通っていたピアノ教室の先生評によると

曲を弾いている間にテンポが揺れてくるのだそうです。

つまり、勝手に早くなったり、遅くなったりするのです。

本人は自覚がないのですが、

メトロノームを鳴らしながら演奏すると

それは明らかなものとなります。

一定のテンポを刻みつづけることが難しいのです。

それから、早いパッセージなどは指が追いつかず

リズムがつるつると滑ってしまいます。

これはリズム感以前に技術的な問題ですね。

…と自己批判モードになってしまいましたが、

リズム感の良い人には心底憧れます。

リズム感の重要さに興味を持ったのは、

まず、「ジャクソンファイブ」の歌を聴いたときです。

つまり、ヴォーカルのマイケルの歌を聴いたときでした。

リードヴォーカルだから 最も大きな印象を残しますが、

それ以上に天才の表現するリズムセンスには

全身が耳になるような想いでした。

1人抜群の才能を発揮しているため

他の4人がまったくの凡人に思えてしまうのです。

あとは、ヨーロッパで長い間

音楽を学んだ友人にも大きな影響を受けました。

リズムに対する苦手意識ゆえに

軽んじていた気持ちがあったのですが、

その友人の演奏を耳にしたときには

リズムを刻むことの大切さを実感しました。

そして、素晴らしいリズムの

心地よさと安心感を味わい、

神秘性さえ感じたのです。

友人曰く、

心臓の刻む鼓動の音が

音楽に発展したということ。

その話と照らし合わせると、

心身を任せることのできるリズムに対して

原点に帰ったような安堵感を感じるのにも納得です。

また、先日パーカッションを習っている友人の

発表会に行ってきましたが、

その友人の演奏も本当に素晴らしかったです。

聴いていて心が安定するリズム、

彼女らしい丁寧なやさしさを感じました。

リズムは計ることのできるものではなく、

心と身体で感じるアートであり、

その人となりがにじみ出る

個性のひとつだと思います。

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クラシック音楽の魅力~その3

シリーズ最終回です。

ここまでクラシックがどんなに素敵かということを

延々語ってまいりましたが、

最後にお伝えしたいことは

「あまり期待をしない」ということです。

まだクラシックを聴き慣れていない時分に

小澤征爾さんのベートーヴェン・第九のCDを聴きました。

有名指揮者に超名曲とくれば

絶対に感動できるだろうと思っていたのです。

しかし、有名な「合唱」が出てくる最終楽章に

至るまでの途中の楽章で、

早くも興味がなくなってきました。

「全然素晴らしいと思えない…」

と大変ショックな気分を味わったものです。

今になって当時のことを振り返ると

「きっと感動するにちがいない」などという

余計な期待と先入観を持って

音楽に接してしまったために起こった

必然的なことだったのだと思います。

自分の期待する音楽と

実際聴こえてきた音楽との

比較及び確認作業になってしまい、

ただ両者が一致しているかどうかということが

焦点となっていたように思います。

音楽と純粋に向かい合うときには

そのように態勢を整えることや、

余計な知識は不要なのです(CDなどの楽曲解説は後から読むようにしています)。

こんなに素晴らしい曲が聴けるんだと

自分の中に像をつくってから音楽と出会うのではなく、

聴こえたままの音を そのまま感じとればよいのですから。

いいなと思えば そのように。

それほどでもないなと思えば そのように。

映画がすきでよく見に行きますが、

以前は 映画を観に行く際に

前評判を入念にチェックしてから見に行っていました。

でも、映画を観ているあいだ中、

「おもしろい映画が観られる」

という思いが入り混じるため、

純粋にその映画を観ていないのではないかと

だんだん感じるようになってきて、

今では ほんの少しの前情報のみを仕入れて

おもしろそうと予感する映画を観に行くようになりました。

音楽も映画も できるだけ真っ白な状態で接するのがベストだと思います。

ですから、ここまでこのトピックを読んでくださった方へ。

ここまで書いておいて矛盾しているようですが、

これまでの話は一個人の

ほんのささやかな解釈であると 軽く考えていただき、

ご自分で得たものを信じて

前に進んでほしいとの思うのです。

この話題は後日また続けたくなるかもしれませんが、

本日でいったん終了ですbell

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クラシック音楽の魅力~その2

前回のつづき。

クラシックのいろいろな曲に触れてみるために、

私はよく図書館を利用します。

図書館ではクラシックのCDが大充実していて、

聴きたい曲は ほぼ見つかります。

あとは、「どこかで聴いたことのあるクラシック」のようなCDシリーズを

聴いてみるのも楽しいかもしれません。

クラシック音楽は CMや映画などの音楽から、

電話の保留音や 駅のプラットホームに流れる

メロディー(ヴィヴァルディ・「春」、「秋」@JR京浜東北線・大井町駅 etc.)まで

本当に身近なところで多く使われています。

クラシックなんて1曲も知らないと思っていても

このようなCDを聴いてみると

絶対に知っているメロディーに出くわすのです。

ちなみに 最近の私のお気に入りは

資生堂「Revital GRANAS」のCM(鈴木京香さん等 出演)に流れている

ベートーヴェン・ヴァイオリンソナタ 「クロイツェル」です。

とてもドラマティックな曲です。

次に、コンサートの楽しみ方のウラ技をご紹介。

ピアノを習っていたので

ピアノが登場するコンサートに魅力を感じますが、

クラシック音楽の醍醐味と言えば

やはり交響曲にあると思います。

しかし、交響曲というものはあまりに長大すぎて手に負えず

退屈モードに陥ってしまうことがあります。

手持ち無沙汰で、とにかく眠くなってしまいます。

ちなみに クラシックのコンサートで

眠っている人を見かける確率は

ほぼ100%ですのでどうぞご安心を(?)。

睡魔におそわれそうな時には

こんなふうに想いをめぐらせることがあります。

今 自分は1時間くらいで読み終わる

短編小説を読んでいるのだと。

音楽を辿りながら こう考えます。

さっきまではあんなに大きく盛り上がる場面だったのに

今はなぜこんなに静謐な世界に変化したのだろう。

2つの世界の間には何が起こったのだったろうか。

どのようにすればこれほど自然に

移り変わりを表現できるのだろうか。

ストーリーに身をまかせるように

音楽を解き明かしていくのです。

…こんな音楽の聴き方は

健全ではないのかもしれませんが、

時には想像力をフル回転して聴いてみるのも

おもしろいのではないかと思います。

今はどの楽器が鳴っているのだろうとか、

この音楽の仕組みはどうなっているのだろう、と

分析的に聴いてみたり。

そこから今まで見えてこなかった世界が

現れてきたりするのですから

やっぱり音楽は楽しい、の一言に尽きます。

あとは、オーケストラってあんなにたくさんの人数で

よくあれほど繊細な世界を

描き出すことができるなぁといつも感心します。

そんな大所帯をまとめるために

指揮者という仕事が存在するのだと思うのですが、

指揮者・大野和士さんは自身の仕事について

「いかに人を活かすか、また表現を引き出すか」

と表していました。

でも、実際コンサートを聴きにいくと

オーケストラ団員は演奏中に

指揮者をほとんど見ていないようですし、

指揮者って本当に必要なのかなと思うことがあります。

だけど、やっぱり指揮者も演奏者なのですね。

かの小澤征爾さんは

「自分の仕事はコンサート本番の前に全て終わっている」

という内容のことを言っていたそうです。

つまり、それまでのリハーサルや練習こそが

音楽を創り出すための

価値ある時間ということだそうです。

中学生の時に吹奏楽部に入部していたのですが、

ある時 別の学校から

指揮者コンクールの入賞経験があるという

先生が来て指揮をされました。

その時、やっぱり違うなということを肌で感じました。

その先生の指揮にかかった時、

音楽がいきいきと生命力を吹き返してきたように

躍動しているということを目の当たりにしたのです。

内にあるモチベーションが高まってくるのが分かりました。

きっと楽器を奏でる人たちを奏でるのが

指揮者なのかもしれません。

それから、大野さんは

音楽についてこのようなことも言っていました。

「自分のこだわりや、

ちっぽけな自我を見せるという欲求がある限り、

音楽(作曲者)に対して失礼だ」 《一部要約》

そう、人の心を動かすものは

どこまでも無欲で、

尊敬すべきものに対しての

純忠なる心ではないでしょうか。

そんな気持ちにさせてくれるものとの出会いこそが

生きることの意味ではないかとさえ思うのです。

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クラシック音楽の魅力~その1

再びクラシックめいてまいりました。

このページは 別にクラシック普及活動のためのものではないのですが、

最近はその想いを書きたい気分でいます。

芸術の秋ですし。

そこで、クラシックに興味はあるけど

どこから入っていいのか分からないという方のために

僭越ながら おすすめの楽しみ方を

お伝えしてみたいと思います。

まずは 無料でクラシック音源に接することのできる

ラジオプログラムをご紹介。

ひとつめのおすすめは TBSが提供するインターネットラジオの

「OTTAVA」という番組。

インターネット接続環境がととのっていれば

PCから無料で聴くことができる番組なのですが、

「OTTAVA」は本当に素晴らしいです!

以下、OTTAVAのHPより抜粋。

“世界の国際都市にあって東京になかったもの、

それはクラシック・ステーション。

1992年にイギリスで開局した「Classic FM」の大成功を受けて、

世界の都市では、次々とクラシック音楽を専門とした

ラジオステーションが誕生しています。

クラシックの枠組みにとらわれない自由な選曲スタイルが、

高感度な人々の間で親しまれています。…etc.”

クラシックは何十分も延々とひたすら長すぎる…!

という方にはうってつけの番組です。

人間が気持ちよく 同じ音楽を継続して聴ける時間が

約3分である(5分だったかも?)というリサーチを元に、

クラシックの曲をその時間内で

紹介するという仕組みを採用しているのです。

でも、曲の魅力は存分に味わうことができます。

曲のエッセンスを知り尽している

魅力ある選曲センスを有しているからです。

OTTAVAでは早朝から深夜まで

様々なプログラムがあるのですが、

MCのトークもとっても興味深く 勉強になります。

2つめのおすすめラジオプログラムは、

NHK-FMの「気ままにクラシック」という番組です。

これは純粋に楽しい!

MCは、なぜか(?)笑福亭笑瓶さんと、

ソプラノ歌手の幸田浩子さんです。

笑瓶さんには今までほとんど興味がなかったのですが、

この番組における彼のポジションは

なかなか素晴らしいものがあります。

2人の織りなすボケとツッコミ満載のトークがとにかくおもしろく、

でも、基本はクラシック番組なので、

2人で歌曲を作ろうというコーナーがあったり、

クラシックってこんなに垣根が低かったのね、

ということを感じさせてくれる素敵なプログラムです。

続いては、やはり実際コンサートに足を運ぶことでしょうか。

クラシック音楽の素晴らしいところは

音が「生」であることだと思います。

マイクなどの機器を通していない

音楽家の奏でたままの

生きている音を体感できることです。

音のバイブレーションが直に身体に届くのです。

音楽療法というものがありますが、

音のもたらす作用というものは

計り知れないものだと思います。

あとは、演奏者によって同じ曲でも

まったく別物になるということも

興味深いことのひとつだと思います。

クラシックは 昔の人が書いた音楽を

楽譜どおり演奏するだけの

創造性に欠けるものと思われることがあるかもしれませんが、

まったくそんな生易しいもの(?)ではなく、

偉大な芸術家が生み落としたアートを

自分の手で今の現実によみがえらせようという

大いなる挑戦なのです!

そのため、クラシック音楽は「再現芸術」と呼ばれているそうです。

(ちなみに再現芸術には、

日本の伝統芸能、歌舞伎や落語なども含まれるそうです)

ですので、歌を例に取ると

人の声質は十人十色のため

歌い手によって 同じ歌がまったく違って聴こえるのと同様、

演奏者や指揮者によって

曲がまったく別物に生まれ変わります。

実際、今まで魅力を感じなかった曲を

別の奏者の演奏で聴いてみて

初めてその曲の良さがわかったという

経験はたびたびあります。

「こんなメロディーがあったんだ!」という

発見にも近い驚きを味わうこともよくあります。

それから、クラシック音楽の範囲はとっても広いです。

20世紀に書かれたものから、

400年前に生まれた曲まで

一同に介しています。

400年も前の曲に触れることができることは

なんて奇跡的なことでしょう!

それに、作曲者もバラエティーに富んでいます。

そういった意味では、

クラシック音楽という言葉で ひとくくりにするのは

少し乱暴かもしれません。

(実際 クラシック音楽の中でも

バロックやロマン派など 時期によって総称があるそうですが)

その膨大な選択肢の中から

自分にぴったりの宝物を見つけ出す楽しみが

クラシック音楽にはあるのだと思います。

- つづく -

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音楽に命を捧げる人

また音楽の話にもどりましょう。

先日 TV番組「情熱大陸」に

指揮者・大野和士さんが出演されていました。

大野さんの名前は知ってはいたのですが、

詳しい活躍ぶりなどは全く知りませんでした。

ルックスのいい人気指揮者なんだろうなという程度の認識でした。

この番組を見て 彼の人となりに初めて触れたのですが、

ほれぼれするくらい素晴らしい資質を

お持ちになっている方と分かり、

大きく心が動きました。

音楽に対する姿勢は常に真摯で、

オーケストラ楽団員を魅了する

パーソナリティーも確実に備わっています。

その瞳は好奇心にあふれ

まるで少年のようです。

そして、「今この瞬間」を生きているという姿勢が

高いインスピレーションを与えてくれます。

内戦状態にあったクロアチアのオーケストラにおいて

音楽の力と神聖さに心身を捧げた

彼の生き様の気高さは

海外の名だたるオーケストラからの

オファーが絶えないことからも明白です。

最近 クラシックのコンクールにまつわる

闇事情を耳にしたのですが、

そんな業界において

彼の存在は ほとんど奇跡のようだと思います。

どこまでも素直で、謙虚でありながら

深遠なる思想を湛えている。

そして、出会う者の内に

誇りを呼び覚ましてくれる

現代の勇者のような存在なのです。

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その4

次は お待ちかね(?)、クラシックの代表選手、

モーツァルトの登場です。

…とは言いつつ、

例によって モーツァルトもすきではありませんでした。

習ったピアノ曲は 退屈な練習曲といったイメージで、

ほとんど記憶に残っていません。

近年クラシックを聴き出してからも

モーツァルトはどうも受け入れることができませんでした。

その理由は、

まず どの曲も似たように聴こえること、

そして 血がかよっていない無機質な音楽に聴こえること、

というものでした。

モーツァルトという人は根っからの天才で、

ベートーヴェンが作曲を

何度もやり直しやり直し 苦心したのに対して、

モーツァルトはサラサラ~とすごいスピードで曲を書き、

それもほとんど書き直しはなしという

神業的な才能を持っていたそうなのです。

きっと苦労せずに作った曲だから

心に響かないんだなぁと思っていました。

でも、みんなが彼のことを絶賛しているのは

なぜなんだろうといつも疑問を持っていました。

そんなある日、

東京国際フォーラムで開催される

クラシックの音楽祭 「ラ・フォル・ジュルネ」に足を運びました。

この音楽祭は 毎年テーマがあるのですが、

その年、つまり2006年のテーマは モーツァルトでした。

モーツァルトには興味がないけど、

当時の職場が目と鼻の先だったということと、

クラシックを好きになり始めたところだし

とりあえず行っておこうかという軽いノリで、

とりあえず入手できたチケットを手にして会場に向かいました。

そこで聴いたのが、「2台のピアノのためのソナタ」という曲です。

そう、この曲こそがモーツァルトと私の

和解のきっかけを作ってくれたのです!

タイトルのとおり、

2台のピアノが向き合うように配置され

2人のピアニストが演奏するのですが、

次々と2台のピアノから繰り出される旋律の波は

目で見て、耳で聴いて楽しいという

まるでショーのようなものでした。

それはまるで愛の語らいのようであり

時には掛け合い漫才(?)のようでもあり、

本当に本当に鮮やかで

全く無機質なんかではなく、

こんなにもワクワクする音楽をなぜ知らなかったのだろう、と

悔やみたくなる程の体験でした。

それからはすっかりこの曲が大好きになり、

後に分かったことは

クラシック漫画「のだめカンタービレ」で

主人公2人が 初めて演奏した曲だったということで

また軽く驚き。

「のだめ」は一応持っていて

何度も読み返していたのですが

モーツァルトというだけでそっぽを向いていたなんて

本当に惜しいことをしました。

そうしてその後、ベートーヴェンパターンと同様

いろんなモーツァルトの曲を聴いてみました。

ご多分にもれず(? )

ピアノ曲は素敵な曲ばっかり(短調の幻想曲なんて素敵すぎます)で、

交響曲もいいし、室内楽も美しいし、オペラもあるし、

珠玉の名曲オンパレードなのでした。

…そう、すっかりこの流れがパターン化しつつありますが、

ただの食わず嫌いだったのでしょうか。

いや、一応食べて(演奏して)はいたのです。

近頃になって、価値が分かるキャパシティが

やっと育ってきたということなのです…!

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その3

さてさて、自分音楽史の旅は目下継続中です。

次は初めの頃にも少し登場した

ベートーヴェンをフィーチャーしてみたいと思います。

ピアノレッスンにおいてベートーヴェンは

本当に苦手な存在でした。

どうやったって弾きこなすことができないのです。

それに 弾いていても全く楽しくなく、

一筋縄ではいかない手強い相手でした。

比較的テクニックを要さない(と言っても決して簡単なわけではありませんが)

「悲愴 第2楽章」や「月光 第1楽章」は

キレイな旋律も手伝ってくれて

それなりにうれしく弾いておりましたが、

それ以外の曲となると

いかんせん難しくてたまりません。

彼の曲は確固たるリズム感が要求されるような気がして、

ピアノをフワフワ・サラサラ弾いていた私にとっては

まるで苦行のようでした。

よって、自分の好みには反する作曲家として

ほとんど排除しておりました(ごめんね、ベートーヴェン…)。

だけど、前述のクラシック音楽へのきっかけを

作ってくれた知人の誘いで

アマチュアオーケストラのコンサートに行ったときに

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を初めて聴きました。

しかし、その演奏は

私のようなクラシックを聴き慣れていない者にも分かるほど

疑問の残るもので、

フラストレーションが溜まった私は

プロの演奏が聴きたいと思い

様々なピアニスト、オーケストラの演奏の「皇帝」を

同じ年に 実に5回も聴きに行くことになったのです。

その頃には自分にとってすっかり特別な曲となり、

ベートーヴェンとの距離も

ぐっと縮まったというわけなのでした。

この曲は どこまでも雄大で、それでいて 流れるようにうるわしく

ベートーヴェンって本当はとっても美しいんだ!と

まるで恋に落ちたかのように

みずみずしい気持ちにさせてくれます。

その後、苦手でたまらなかったピアノソナタや、

ピアノ協奏曲も1番から5番まで全曲CDで聴いてみましたが、

どれもすんなり入っていくので本当に驚きました。

どの曲も全て性格が違い、いずれも名曲揃いなのです。

彼の曲は とにかくカッコよく、

誰も真似のできないオリジナリティーをしっかりと持っています。

それに、すごく斬新なのです。

今聴いてもまったく色褪せません。

心より尊敬します!

このような流れで、私は大のベートーヴェンファンへと

昇華(?)していったのでした。

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その2

自分音楽史の旅はまだ続きそうです。

ショパンのほかに、すきだった作曲家は

ドビュッシーです。

ショパンときて、ドビュッシーと言うと

好みがいかにも分かりやすそうだと思われそうですが。

ドビュッシーの曲で習ったのは、

「アラベスク第1番」、「プレリュード(ベルガマスク組曲より)」、

「月の光」、「亜麻色の髪の乙女」で、

『ザ・ドビュッシー』といったメジャーどころが揃ったラインナップです。

ドビュッシーの素敵なところは

キラキラと光が揺らめいているようで、

なんとも不思議な気分になるところです。

(抽象的な説明で申し訳ありません。

アカデミックな音楽教育を受けていないため あしからず。)

モネやルノワールなどの印象派にインスピレーションを受けて

音楽を描いたというドビュッシー。

感覚的な美しさを保ちつつ、

独創的な世界を展開しているという…!

まさに私のタイプです。

その世界観にどっぷり浸かることができるのです。

確か高校一年生の時

ピアノ教室の発表会で「月の光」を演奏しました。

自分の発表会史上、

おそらく はじめてノーミスで演奏することができました。

それまでは、曲の中で必ず引っかかる箇所があり、

かなりの高確率において

本番でもその箇所を間違えてしまうのでした。

でも、「月の光」の時はまったく間違えずに

自分で納得いく演奏ができて

満足だったというだけでもひとしおなのに、

後日先生から聞いたところによると、

観客(おそらく生徒の父兄と思われます)の方が

「まるでCDを聴いているみたい」と

ほめてくださったというのです。

後にも先にも初めてのことで、

先生の前ではおとなしい風をよそおっていた私は

とりあえず疑ってみたり、

謙遜してみたりしましたが、

内心はまるで やさしい光につつまれるように

うれしかったのでした。

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もう一度 自分音楽史を振りかえる ~その1

ここで、再びクラシック音楽の話題に戻ってみます。

いかにしてクラシックを好きになっていったかという

プロセスを辿っていきたいと思います。

以前ピアノのレッスンに通っていたのは前述のとおりですが、

当時はとにかくクラシックには興味がありませんでした。

誰の曲を習っているのかも

知らなくてもよいほどで、

曲をなかなか弾きこなせないものだから、

あまり好きではなかったのです(勝手ですね)。

そんな中 奇跡的に(?)すきだったのはショパンです。

だって どこまでも美しく、

ロマンティックで、キュンとなるから。

上手い下手は置いておいて、

弾いていると とにかく心地よい気分になれるのです。

そして、ただ1枚持っていたクラシックのCDは

ウラディーミル・アシュケナージ演奏の

ショパンの曲のメジャーどころが詰まったCDでした。

こればかり 本当に何度も何度も聴きました。

このCDの中で 聴くたびに涙が流れるのは

「英雄ポロネーズ」と「舟歌」です。

両方ともとてもドラマティックな曲なのですが、

曲を聴いていると

遠い記憶が呼び覚まされるように

自分の中から ふつふつと

湧き出す感情に圧倒されそうになるのです。

中学1年生の時、

担任の先生に提出する班ノートに

「ショパンの舟歌を聴いて、泣くほど感動しました。

行ったことのないヨーロッパに

自分がいるような錯覚を覚えたほどです」

と熱を込めて書いたところ、

「ヨーロッパなんて高級ですね。etc.」

というあっけない返事が先生から返ってきて

拍子抜けしたことを覚えています。

今では、きっと自分は前世でヨーロッパに住んでいたので

ノスタルジーを感じているのではと

ひそかに思っております。

だって、本当に懐かしくて、心落ち着くのですから。

それは、現在いろんなクラシックの曲を聴くようになっても

心からそう思います。

…まぁ、一番最初に触れた音楽の世界が

クラシックだったから

懐かしく感じるだけなのかもしれませんが。

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だいすきな advantage Lucy について

つづいてのお気に入りアーティストは「advantage Lucy」です。

Lucyは いまから8,9年ほど前に

当時好きだったバンドのラジオ番組で紹介されていたのを聴いて

一聴き惚れしてしまいました。

ボーカル・アイコの 水のように透明で、繊細な歌声。

そして、彼女の描く詩の世界観。

すぐそばにあることを綴っていながらも

普遍的で広大な世界を感じさせてくれます。

先日タワーレコードのインストアイベントで

数年ぶりに彼らの音楽をライブで聴きました。

相変わらず すきだなぁとしみじみ感じ、

彼らが 本当に楽しそうに音楽を奏でていることが

とてもうれしかったです。

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だいすきな アン・サリーについて

クラシック音楽の話だけに偏りたくないので、

ここで別の角度から音楽にスポットライトを当ててみます。

たぶんこれからも

ずっとずっと大好きなんだろうなと思うアーティストをご紹介。

まずは「アン・サリー」。

彼女の歌との出会いは

今から4年程前にカフェで流れていたのを聴いたときでした。

天にも昇る心地よい音楽なので

思わず店員さんに誰の曲かと質問をしてみたのです。

そのカフェの雰囲気もとても良くて

音楽との調和が素晴らしく

文字通り夢心地の空間・時間でした。

アン・サリーの初めのうちのアルバムはカバー曲で構成されています。

カバー曲なのですが、まるで彼女のオリジナルであるかのように

曲との間に 深い親密感があり、

曲を包み込む おだやかでやさしい彼女の歌声は

彼女だけに与えられたギフトのようです。

そして、その空気感はどこまでも軽やかで

触れていると この一瞬が美しく生まれ変わるようです。

こんなに素晴らしい歌い手なのに

一方で医師であり、母でもあるという

まさに天から祝福された方なのです。

これからも末永く活動を続けてほしいと心より願っています。

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音楽のジャンル

前回のつづき。

知人とのヴァイオリンアンサンブルで開いた

新しい音楽の世界は、ずばりクラシック音楽でした。

とは言っても、習っていたピアノのジャンルもクラシックだったので、

新しい訳では全然ないはずなのですが、

私にとってはまったく新しく 大きな革命だったのです。

それまでの私は クラシック音楽がさほど好きではありませんでした。

練習もすきではなかったですし、

クラシックというものは退屈なものだと思っていました。

現在は上記のきっかけにより クラシックが大好きになったわけです。

…ここで、少し横道にそれます。

人から「どんな音楽がすき?」と聞かれる時、

「クラシックです」と答えにくいことがあります。

以前そのように答えた時の相手のコメントが

「上品だね」や「高級な感じ」などで終わってしまい、

いまいち盛り上がり(?)に欠けるからです。

『へぇ、クラシック…。これまた難しそうな音楽をねぇ…』

という心の声が聞こえてきそうです。

途端にその人との距離感が感じられ

遠巻きに見られているような気分に陥ります(考えすぎ?)。

もちろんクラシック音楽をすきな人はたくさんいると思いますし、

反対に延々と長くて退屈なものと

思う気持ちもよく分かります(以前自分も思っていたように)。

それに、音楽は 食べ物の好みと同様、

自分がすき、心地よい と思えばそれでよいのですから

あまり気にかけることはないとは思いつつ…。

さて、本題にもどりますが、

クラシックを再び知ってみて思うことは

このジャンルの音楽はとっても刺激的なものだということです。

たとえば、有名なベートーヴェンの「運命」という曲がありますが、

誤解をおそれずに言えば、

この曲なんて相当に「ロック」だと思うのです!

「運命」といえば、

冒頭の「ジャジャジャジャーン」という部分と

音楽室に飾られている作曲者の気難しそうな肖像画が

まず思い浮かびそうなものです。

しかし、お決まりのメロディーをくぐりぬけて 聴き進めていくと

第1楽章の中盤あたりは相当カッコいいことになっています。

リズムがドライブしています!

それに、チェロとヴィオラの奏でる第2楽章のメロディーなんて

どこまでもやさしく至福の温度に包まれているかのようです。

そして、最終楽章のはじけっぷりときたら、もはや祭りです!!

そう、この曲は全然堅苦しいものではなく、

とっても楽しい一大エンターテイメントだと思うのです。

…となんだかクラシック推進派のようになってしまいましたが、

一度入ってみると かなり楽しみの多い世界だった

ということを言いたかった訳です。

そんなところで、つづきはまたの機会にいたします。

話題は変わりますが、

「ロック」と言えば、初めて歌舞伎を見たときも

「ロックだ!」と感じて、魂が震えたものです。

歌舞伎も大変カッコいい世界です。

こちらの話題もまたいつかの機会に…。

そもそもロックが何かということを

自分は本当に知っているのだろうか

という疑問は残りますが

とりあえず本日はおひらき。

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すきな音楽

まずは音楽について。

ピアノを5歳のときから始めました。

近所のみんなも始めるから、

というよくあるノリがきっかけです。

そんな中 成長するにつれ みんながピアノを辞めていっても

私は18歳までレッスンに通い続けました。

でも実は 練習なんて面倒で、

人に聴いてもらうことにも興味がなく

一応続けている感は否めませんでしたが、

演奏している時間は

自分とゆっくり向き合うことのできる貴重なひとときで、

包みかくさず言えば、

ピアノを弾く自分を誇らしくさえ思っていたのでした。

そして、音楽はどんな時だって大きな存在でした。

目には見えず、形もないのに

底知れぬチカラを持って

この感情を揺さぶる 音の振動。

音楽はこの身体に いつも流れていて

自分を生かしてくれる源泉でした。

18歳の時にレッスンに通わなくなってからは

すっかりピアノとの距離が生まれてしまいましたが、

時間がすぎてゆくうち、ピアノへのいとおしさが募り続けました。

でも、なかなか再開できるきっかけをつかめず…。

そんな中、ある方との出会いがあり、

彼女の演奏するヴァイオリンと合わせるために

再びピアノに触れました。

そこから音楽に対する熱は再び加速度を増してゆくのでした。

つづきはのちほど…。

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